このお客様には、親子の愛情の深さを学ばせていただいた話です。「お墓を作りたい」ということでお話を始めたのですが、このお客様は息子が病気で亡くなっておられるのです。しかも二十歳で・・・。
この仕事をしていると、若くして亡くなられた子供さんの墓を作る、ということが結構あります。順番通りならまだしも順番が逆になってしまった場合、残された親御さんの気持ちは尋常ではありません。私たちも正直にいって、このパターンのお客様が、一番苦手で、なんと声を掛けたらいいのか、どのようにお墓の話を進めればよいか本当に悩みます。
このお客様はご夫婦で来られたのですが、「我が子の墓を作る」と考えただけでも「涙、涙」でこちらも、もらい泣きをして、最初はとてもお墓の具体的な話を進めていける状態ではありませんでした。
しかし、何度かお会いするうちに、徐々に落ち着きを取り戻され、ご自分達のことや、息子さんの話を少しずつしてくださるようになっていきました。ご主人は銀行にお勤めになっておられ、音楽を聴くのが趣味なのだそうです。亡くなられた息子さんも、プロのミュージシャンになるのが夢で、プロを目指して音楽の勉強を懸命にされていたそうです。
やがてお墓の具体的な話も進んでいく中で、このご夫婦のご希望が「息子の顔をお墓に彫刻したい」と言われるのです。これは技術的には可能で「写真をコピーする様に彫刻できる」という工法があるのですが、私はお墓に子供の顔を彫刻してしまうと、お墓参りをする度に「息子のことを思い出し、泣くことになる」のではと思い、反対しました。
たしかに、自分達の息子を亡くしたという思いは、一生忘れることはできないと思います。しかし、いくら辛い思いでも、いつまでも悲しみを引きずり生きていくことより、辛くてもどこかで、心を切り替えて生きていくしかないと思います。なのに、お墓に顔を彫刻して残してしまったら、心の切り替えができないのではと思い、反対したのです。
けれども、そのご夫婦は「私達も、そのことは考えましたが、どうしても息子の一番いい顔を残しておきたい」と言われ、息子さんの写真を持ってこられているのです。
「この写真を彫刻したい」と言われる、写真を見せてもらうと、これが実にいい顔をしているのですよ。まさに「夢と希望に満ちあふれた青年の顔」です。その後打ち合わせを重ねて、お墓のデザインを決め、そのお墓の正面に、その写真の顔を大きく彫刻することになりました。
息子さんのお墓作りも順調に進み、完成したお墓を見られたご夫婦からも「大変満足しています」と、お言葉をいただいたのですが、やはり寂しそうでした。
この仕事を終えて、1年ぐらいたった頃、新聞を読んでいるとある記事に目が止まりました。その記事はこの様な内容でした。
「将来音楽家を目指す、亡き息子の意をくみ、父親が、勤めていた銀行を辞め、ジャズが聞けて、ライブも楽しめるレストランを、息子の思いを込めて海が見える所に開店させた」という内容でした。詳しく読んでいくと、やはり我が社でお墓を作らせて頂いた、あのご夫婦だったのです。
この時は各社のマスコミが取材に押しかけ、あの時建てた息子さんのお墓も取材され、テレビにも出たりで大変な反響でした。
これは後に聞いたことですが、実際のご夫婦の内心は世論とはかなり違い、実際は、会社を辞めてお店を作ったのは、マスコミが報道する「音楽を志す息子の意をくんで」という心温まる話でも「お客さんのため」でも無い。「とにかく、息子がいない今まで通りの生活が辛かった。気が狂いそうだった」その苦しさからの逃げ場所に「お客さんには申し訳ないけれど、店を出した」と言われていました。
これが本当の人の気持ちだと、私も思います。そんなことをまったく知らない私は、今はご夫婦がお元気になられたと思い、安心しておりました。
「銀行マンからジャズのレストランとは、えらい畑違いだな」と思いながらも、実は私の悪ガキ時代からの同級生で、現在ではプロのジャズミュージシャンになっているヤツがいるんですね。私は「ジャズなんかまったく興味が無い」のですが、この男の出しているCDは義理で買って持っているのです。
はっきり言って、私が持っていても何の意味も無いし、「そうだ!私が持っているより」と思い、遅ればせながらの開店祝いのつもりで「お元気ですか、友達のCDなんですがプレゼントしますので、お店で流してやってください」と紙を添えて、このご夫婦のお店に送っておいたのです。すると、ご主人から会社に電話があり、私が送ったジャズのCDのお礼と「ところで、あんたはこんな凄い人となんで友達なんだ!」と言われるのです。
ご主人は、かなりのジャズマニア。彼のこともよく知っているみたいで「この人は日本で5本の指に入るジャズミュージシャンだ!」と鼻息が荒いのですよ。でもそんなこと言われても、ジャズに興味の無い私から見れば、悪ガキ時代からの仲間で「今はプロの音楽家なんだから、音楽は上手なんだろうな!」程度で、何本の指なのかどんなに凄いのかチンプンカンプンなんです。
私が「ヘェーそんなに凄いんですか?」と聞くと「友達なのにそんなことも知らんのか!」と怒られる始末で、ご主人からは「うちの店なんかに来てもらえるとは思えんが、うちの店でライブ演奏をお願いしてもらえないか?」と頼まれたのです。
それから数年が過ぎ、その音楽家の彼が「広島でステージがあるから仕事が終わったら久々に飯でも食べよう」と言ってきたのです。私も頼まれたはいいが、半分忘れかけた約束を思い出しました。「よし、この機会に話をしよう」と思い、他の音楽に詳しい同級生に相談をしてみると「それは無理じゃないか」と言うのです。よく話を聞いてみると、やれニューヨーク公演だ、上海公演だ、などと凄い話がたくさん出てくるのです。「今の彼は、そんな田舎町のレストランでライブなんかしてくれないだろう」というのが大多数の意見なのです。
私も「これは難しいかな」と思ったのですが、ご主人との約束もあるし、話もしないであきらめる訳にもいきません。彼と久々に食事をしながら「わしぁーあんたに頼みがあるんじゃけどのぉー」と、亡くなった息子さんの思い、両親がどんな気持ちで店を作ったかなどを、コンコンと話しました。
彼は私の話を黙って聞いていました。私が「その店でライブ演奏をしてもらうわけにはいかんじゃろうか?」と言うと彼はうつむき黙ってしまったのです。
「やっぱり無理なのかな」と思った瞬間、彼が顔を上げ「分かった!そういう話なら俺はどこだろうと行くぞ!」と、言ってくれたのです。
彼がOKしてくれてほんと、私も嬉しかったですよ。喜んだのは束の間、今度は彼が「スケジュールをなんとかして、ドラムは誰を連れていき、ボーカルはあの子がいいだろう」と、なんだかライブの計画の話が、どんどん大きな話に進んでいくのです。話が進むのは良いのですが、私には次の心配事が・・・。それは「お金」。
小さな店で、とんでもないギャラを請求されても、とても実現できる話ではありません。そこで私が「あのお、金のことなんじゃけどのお」と言うと「お前も、いい仕事してるんだね。金のことは心配するな、ノーギャラでもやってやるから!」というのです。
「カッコイィー!」
この男は子供の頃はとんでもない悪ガキで、中学の頃は「広島の不良でこいつの名前を知らない者はいない」と言われた男。それが今では、音楽の大先生。年をとってもハートは熱い男です。
「いやぁー!この時は、自分の友達ながら誇りに思いましたよ。」
そして、ご主人の念願であったライブコンサートが実現することになりました。当日は、彼を慕う地元の音楽家や、この話に共感してくれた、大阪の女性歌手も来てくれて、お店は大いに盛り上がりました。
ライブも無事に終わり、私も考えたのですが、今回のこのライブは、天国の息子さんの力で実現したものだと思います。
なぜなら、息子さんが亡くなったことで、「お店を出したご主人・石屋の私・友人の音楽家」と多くの人が皆、天国の「音楽家を目指していた、二十歳の青年」に心を動かされ、とった行動です。
人の縁というものは、不思議です。もし、この二十歳の青年が天国にいっていなかったら、今回のライブも、ジャズのお店も、お墓を作ることも、私たちの出会いもなかったかもしれません。
しかし、これは現実の出来事。いくら辛いことでも残された私たちは、それを受け止め、前向きに生きていくしかありません。辛さの後には、必ず幸せがやってくると思います。
今では息子さんを亡くされたご夫婦も、新たな希望を持ち、お店にやって来られるお客様との素晴らしい出会いを求め、ご夫婦でお店の経営を頑張っておられます。